読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日記を書くということ

雑記

小学校高学年の頃だったと思う。僕が所属していたクラスの取り組みで、毎日「自主学習ノート」(正しい名前は忘れた)に勉強をして翌日の朝に担任の先生に提出するというものがあった。たとえば計算ドリルの問題を解いたり、その日に習った歴史のまとめをしたり、内容はかなり自由なものだ。ただ1つだけ決まりがあって、その日の「一言日記」を書かなければならなかった。髪を切ったとか、放課後誰々と遊んで楽しかったとか、その日の出来事を一言にして書き、先生からコメントをもらうというものだ。当時の馬鹿な僕は内容の吟味や文章の推敲など一切せず、思いついたことを適当に書いていた。でも今思い返してみると、先生からのコメントが楽しみで、それがモチベーションへと繋がっていたように思われる。第三者から毎日フィードバックをもらえるのって、結構恵まれてるよね。

学年が上がって担任の先生が代わるとこの制度がなくなった。もしかしたら小学校を卒業したからかもしれない。記憶が曖昧。とにかくこの「自主学習ノート」の中の「一言日記」制度がなくなった。日記を書くということが定着していなかった僕は、フィードバックがもらえなくなった途端、書くのをやめてしまった。結局のところ強制力が働かないと何もする気が起きない「意識低い系」の人間だった、ということだ。それは今もあまり変わっていない気がするけれど。

それから10年ほどの時が流れた2012年4月、ふと日記を書いてみようと思い立った。意識低い系の僕がそんなこと急に思い立つわけもなく、当時注目され始めていたiPhoneアプリ「Day One」が目に留まったことがきっかけだ。日記を書く習慣が全くなかった僕がなぜこのアプリを買おうと思ったのか、正直に言って覚えていない。たぶん本当に「なんとなく」買ってみただけだったと思う。実際購入してすぐの日記を見返してみると長文なんて見当たらず一言だけ、それこそ10年前の「一言日記」を踏襲したかのようだ。今風にいうと「ひとりTwitter」かな? 

このアプリを購入した当時は「僕のことだからどうせ三日坊主で終わるだろうな」って思っていたのに、毎日ではないにせよ4年近くも書き続けている。でも思ってることを言葉にするって大事だなあって最近より強く思うようになった。たとえうまい言葉が思いつかなくてもそのときの気持ちをそのときの言葉で記録しておけば、未来の自分にとって大きな資産になると思うし、今の自分の考えと未来の自分の考えが合わさってまた新しいアイデアが生まれてくるんだろうなあって最近よく思う。

なぜこんなことを考えたかというと、4年間使い続けてきた「Day One」が2か月ほど前にリニューアルしてさらに使い心地のいいものに進化したから。毎日スマホとにらめっこしている僕らの世代は、手書きよりもスマホでさくっと書いた方がお手軽なんじゃないかな。少なくとも僕はそうだった。人によると思うけれど、日記って始めの一歩のハードルがちょっと高くて、でもそのハードルを越えちゃえば意外と定着するものだと思う。取り留めのない文章になってしまったけれど、今の僕の日記に対する考え方はこんな感じだ。Day Oneの使い勝手についてのお話はまた後日。